November 24, 2007

仕掛け人と新聞記者 「読み・解く」 朝日新聞

けさの朝日新聞(朝刊[be])で書きました。

全文は、こちらから読んでください。

http://www.be.asahi.com/

で、一部、貼り付けます。

(前略)
――先日、記者たちから、「大連立の仕掛け人か」と問われた渡辺氏は、自ら「新聞記者」と名乗り、取材を拒否した。だがプレーヤーとして政治の舞台で振る舞った以上、渡辺氏に「新聞記者」を名乗る資格はない。不思議なことに、彼は、ペンの力ではなく、圧力によって政治に影響を与えたことを、恥じるのではなく逆に誇ってさえいるかのようだ。ジャーナリストとしての立場、目的、手段を大きく履き違えてはいないか。
 こうした傾向は渡辺氏にだけ特有のものではない。彼の主催する「山里会」のメンバーや、政治記者にも少なからず当てはまる傾向である。権力に接近しすぎると、誰もが手をのばしたい誘惑に駆られるのは確かだ。
 だが、普通のジャーナリストたちは、そうした誘惑に対し、強い自制心をもって仕事に臨んでいる。なぜなら、オブザーバーでいることを放棄した瞬間、ジャーナリズムとは相いれない職業へと一線を越えたと宣言したに等しくなるからだ。
 私たちは、野球やサッカーの試合中、記者やカメラマンが、突如グラウンドに降り立ち、ボールを投げたり、けったりする姿を見たことがない。なぜなら、選手には選手、報道には報道、観客には観客の役割があるからだ。おのおのがルールを守ってスポーツは成立している。政治も同様だ。党首会談を仕掛けるのは政治家の仕事であって、断じて「新聞記者」の仕事ではない。
 そもそも、いったい誰が「新聞記者」にそうした仕事を期待しているというのだろうか。仮に、もう一人の仕掛け人と言われている森喜朗・元首相が自らの意思で、そうした仲介をおこなったというならば、問題はない。それは、彼が国民から選ばれた選良の一人であるからだ。しかし、渡辺氏に対して、国民は政治に関与することを求めていない。
 「新聞記者」である渡辺氏に期待していることはプレーヤーとしてではなく、オブザーバーとして、読売新聞において政治権力の内幕を報じることである。それこそが、国民の知る権利に応える新聞、新聞記者の役割ではないのだろうか。
朝日新聞:2007年11月24日付】

uesugitakashi at 20:28│Comments(0)この記事をクリップ!脱力コラム 

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