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平成エリートへのれいわ一揆~既得権との闘い

未明より、渋谷健司NOBORDER代表と、ボリス・ジョンソン英首相のスピンキャンペーンについてやりとりが続いています。眠気が吹っ飛ぶほど面白い。


今回のBrexitキャンペーンでの陰の主役はスピンドクターではないかということで一致し、そのうえで、首相のスピンドクター、ドミニク・カミングスについて意見交換をしている最中です。



英首相のスピンドクターといえば、ブレア首相時代のアラステア・キャンベルがあまりに有名ですが、カミングスのスピンコントロールはさらに磨きがかかっているようです。


「ドミニク・カミングスのBrexitキャンペーンは、それを描いた舞台裏のドラマによると、シンプルなメッセージを繰り返し、その裏でデータで反応を見ながら修正していくというものです」(渋谷NOBORDER代表)


キャンベルよりも洗練されているというのは、アルゴリズムを駆使して、徹底的なデータ主義であるというところでしょうか。さらに「今まで投票したことのない不満層へのアプローチを徹底した」(同上)という手法も見過ごせません。


カミングスは、Brexitについて、

"Insurgency against the establishment"(Cummings) 「エスタブリッシュメントへの反乱」

と答えたそうです。


まさしく以前の考察での正解◎二重丸をもらった気分です。 https://www.uesugitakashi.com/post/kanjicho


トランプ現象では、仮想敵を「ディープステイト」あるいは「MSM(メインストリームメディア)」として対立軸を設定しています。それで私も2016年から「ディープステイト」を使ってみているのですが、日本では狭義のスピノザ定義になるか、陰謀論と捉えられがちで広がることはありませんでした(笑)。


一方、カミングスの英国では「エスタブリッシュメント」なんですね。じつは、これも使用検討をしていましたが、日本では洗練されて良い意味の方に使われているのでボツにしました。


そこで、ヴィクトル―・ユゴーの『レ・ミゼラブル』のイメージを保ちながら、代替案として「アンシャンレジーム」を持ち出してきたのですが、これも市民権を得るのは難しいようです。


上記のカミングスのスピン戦略を聞いていると、単に「反エリート」あるいは「既得権エリート」「平成エリート」(ともに造語)でいいのではないかと思っています。


"It's not about right vs. left, but it's about old vs. new." 「(ブレキジットは)もはや右対左のようなイデオロギー対決ではない。守旧勢力と新興勢力の闘いだ」


これはカミングスのスピン・リサーチャーのことばだそうです。日本でいえば、れいわの山本太郎代表とN国党の立花孝志党首が上記のような言葉遣いを駆使していますね。https://www.uesugitakashi.com/post/deepstate


とくに立花さんの時代を読む感性は鋭い。なにしろ彼の言葉は…

「NHKをぶっ壊す!」 「れいわの百姓一揆」


ですからね。


キャンペーンとしてはトランプとボリスのいいとこ取りになっているし、スピンコントロールの専門家からみれば、スティーブ・バノンとドミニク・カミングスの合わせ技ともいえて、最強です。


よって、ちょうどいくつかのメディアから「N国党とは?」と問い合わせを受けているので、幹事長としては、少し泥臭く、立花風味を消すことなく「平成エリートへのれいわ一揆」と答えることに決めました。


「平成エリート」は「れいわ一揆」に対抗する造語。「平成=既得権」と結びつける作業はこれからになります。


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תגובה אחת


単純に「既得権益」とは保守の最たるものでしょ。保守とは、当たり前な人間の生活としての、長い期間とか年月の積み重ねに他なりません。だから既得権益を否定するとはそれらの否定になり、また、自由の保証としての私有財産の否定です。


とにかく自由主義において格差は保守思想共々、当たり前なことでしかないですから。しかしわざわざ自由主義と言わなければならないのは、19世紀に社会主義が考えられたことへの反論や否定としての定義からでしょうか。それまでも当たり前に私有財産の自由はあったのですからね。とにかくそれが千年単位で人間が長い間、問題もなく生活してきた流儀というか様式ですからね。


資本主義の社会ができて更に「自由がエライのだ」の中に、現代のような匿名で平気で発言できると、叡智も美徳ないようなレベルの低い自由なことが常識化と常態化し、社会は封建時代とは比べられない程に現代のように低俗化するしかないと、以下のように言われているようです。


潮匡人著「日本人として読んでおきたい保守の名著」59項、第二章トクビルより

フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」

貴族制社会から民主制への移行で失われるもの

《「リベラルな民主主義は『胸郭のない人間』、すなわち、『欲望』と『理性』だけで作られていて『気概』に欠けた人間、長期的な私利私欲の打算に通じてくだらない要求を次々に満たすことにかけては目端の利く人間を生み落とした」

「長い目で見ればリベラルな民主主義は、過度の『優越願望』あるいは過度の『対等願望』__平等に認められたいという熱烈な欲望__によって内側から覆される恐れがある」と指摘した。ここにはトクビルの強い影響がある。》


そのトクビルは17世紀アメリカの民主制の発展を「神の望んだこと」としていますね。また、ご存知かもしれないが、昭和45年に三島由紀夫も似たようなことを述べているのが面白い。

《「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

 世間は、3月にはじまった大阪万博に酔いしれていた。岡本太郎の「太陽の塔」が、高度経済成長の象徴のように君臨していた。人々が空気のように豊かさをむさぼり吸っている傍らで、三島由紀夫はひとり立ち尽くし、口を覆っていたのである。》


つまり現代社会は中世に比べ必然的に堕落に向かっていると言えるわけですよ。だからこそ本来のディープステートは、このような愚かな連中は一まとめにして管理してしまえと、大資本が出来たことにより、プラトンより続く考えを引用し共産主義を行ったが作戦変更して、難民を作り欧州へ移民の混合作戦を実行中と言える。  仲秋 澄長

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