ショーナンスさんのツイートへの回答です。
9月2日に生出演した「 #発するFM」 でのコーナー「 #聴くオプエド」を受けて。
「今朝の生電話オプエドは上杉隆さん!『僕のN国党での役割に“党員の教育”もある(党首は今はわざと下品にしてるだけ←…だそうです)』…教育終了は一応どれくらいというめどはたってるのかしら…? やっぱり6年くらい、私たちもみてなくちゃいけない、のかなぁ~」
国政政党には国政政党に相応しい振る舞いがあります。ただ、急に変えて、現在の勢いを削ぎことは賢明ではありません。
長い付き合いの立花孝志党首は「数字の天才」であることを知っており、下品なふるまいも選挙と党勢拡大のために故意にやっているのをわたしは理解しています。よってなにも心配はいりません。彼はすべて計算して行動しています。
心配なのは、立花さん本人よりも他の議員や支持者たちです。教育の必要があるのは彼ら、彼女たちでしょう。
山本太郎さんも6年前は粗野でした。天皇陛下への振る舞いや総理への弔事疑似行為など、決して褒められたものではありませんでした。橋下徹さんも府知事就任当初は同様でした。世襲ではない政治家のみなさんが、世間の注目を集めるために「炎上の道」を最初に歩まざるをえないのは仕方のないことだと分析しています。
そうはいいながらも、9つの公党のひとつとなったいま、N国党がやんちゃな地方政党のままでよいはずもありません。果たして変わることは可能でしょうか?
人は必ず変われます。もちろん政治家も党も変われます。N国党には右も左もないし、上も下もない。では彼らの振る舞いはどう説明すればいいのか。
ひとことでいえば、N国党は古い既得権益を壊す、新しい政治集団ということです。直接民主制を目指す新しい人々の集まりという一点のみで連帯しているとみてよいかと思います。
だから「護憲か、改憲か」もわからないのですし、「保守か、リベラルか」も一見すると判断がつかないのでしょう。それは一歩間違えると無責任にみえます。が、実際は違います。
政策的には直接民主制の導入という、5年前の #松田公太 さんの「元気の会」の「実験」を引き継いでいます。これが唯一説明できることです。
わたしの役割は、25年の永田町生活の総決算として、#立花孝志 党首の目指すメディア改革、言論の自由化のための革命をお手伝いすることに尽きます。
NHKのスクランブル化は確かに難しいが、できないことはないと思っています。10年前に、#記者クラブ のオープン化を達成させるまでは、長い間、誰もが「不可能だ」といっていました。大切なのは諦めないことです。
スクランブル化は受益者負担の原則に沿った当然のルールだと考えています。使った人が払うのは、水道や電気やガスなどの公共料金でも同じですね。だから、#NHK も見た人が払えばいいだけの話です。
党の政策的立ち位置に関しては、いまのN国党は #丸山穂高 副党首の存在で右寄りになっているのは事実です。よって、上杉の役割はリベラル側にひっぱること。ウィングを広げないと国政政党にならないし、党としての幅も広がらないのです。
保守ポピュリズム革命が世界の潮流になっています。2016年、米国で始まったその現象はついに議院内閣制である英国にも到達しました。ボリス・ジョンソン首相の誕生は、トランプ以上に歴史の変化を感じさせます。
ニューヨークタイムズ時代、国際政治の潮に逆うのは難しいということを知りました。リベラル全盛の70年代だったら、左派ポピュリズムの勝利だったでしょう。米国ではバーニーサンダースが大統領になっていたかもしれませんし、日本ならば #山本太郎 さんのれいわがもっと伸張していたはずです。
しかし、時代は保守ポピュリズムの隆盛期です。繰り返すように、ボリス・ジョンソン首相が議院内閣制の英国でも誕生したというのは驚きであり、象徴的です。良いか悪いかではありません。イデオロギーの問題でもありません。そういう時代が到来したという現実の問題なのです。
ネットの進歩は立花さんの目指す直接民主制導入のチャンスでもあります。
#松田公太 は5年早かった。#上杉隆 は10年早かった。#堀江貴文 は15年早かった。#孫正義 は20年早かったのです。
政治の世界は歩みがとにかく遅い。とくにここ日本ではそれが顕著であります。
その流れの中で、立花孝志さんが波の先端に乗りました。MSM(メインストリームメディア)に対抗して勝ったトランプさん、自身のSNSやYOUTUBEを駆使しているボリスジョンソンさん、そして、日本で立花さんが同じ手法を使っています。
ボリス・ジョンソンのスピンドクター、ドミニク・カミングスによれば、BREXITは「エスタブリッシュメントへの反乱」だという。もちろんそこにはBBCも含まれています。だから、立花さんの「既得権エリート(NHK)へのれいわ百姓一揆」という概念は、時代に愛されるポリシーになると思うのです。
時代がようやく追いついてきました。
